passions's blog

元塾講師・現家庭教師anデイトレーダーのおはなし

信念と思想

http://toyokeizai.net/articles/-/11766

http://toyokeizai.net/articles/-/11916

 開成と麻布の違いが分かりやすい記事です。調教する開成に対して放牧する麻布って感じでしょうか。開成の「生徒がよっぽど道を踏み外しそうにならない限り、こちらから手をだすことはありません。」に対して、麻布の「中には崖から落ちて痛い目を見る生徒もいますが、「自由と自律はコインの表裏の関係」ということを知ってもらおうと思っています。」が象徴的ですね。開成は道を踏み外すことはまず無いわけですが、麻布に子どもをやったら道を踏み外すことがありうるわけです。

 共通しているのは「うちの学生は優秀だ」という信念でしょうか。これは中学受験校では多くが持っている思想だと思います。あと「東大に行かせたいなら、よそ行った方がいいですよ」とか言っちゃうところ。

 っで、中学受験の問題といえば、難しさばかりが取り上げられるのですが、思想哲学の表示になっていることは、あまり知られていません。入試問題には明らかに偏向があります。それは「単純に優秀な」人間など存在しない事を示しています。

 例えば開成だったら、あのクソ簡単な国語とクソ難しい算数がミックスされて、算数に強い開成生の元になる小学生を選び出せるわけです。麻布はあの意味のわからない国語を出し続けることで、旧東大後期試験に異様に強かった、非常識な人間を輩出し続けるのでしょう。思想のファシズムとも言えます。おれはそのファシズムはいいんじゃないかと思っています。学校の哲学に合わない子どもを入れても仕方がないからです。

 僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった - しのごの録 僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった - しのごの録

 さて、これを読んで。おれの挫折は大学にはありません。中学にあります。世間では「毎年東大に合格者を出すような学校の連中は挫折なんて味わったことがないだろう」くらいのテンションで語られることも多々ありますが、とんでもない話です。9割方は絶望的なまでの挫折を中学高校のうちに味わうのが普通です。―世間一般ではどうだか知りません。そのためこれが上位私立特有の現象なのか、一般的な傾向なのかは分かりません―

 おれは元々、勉強しか取り柄の無い子どもでした。あ、多分いまもそうです。運動も音楽も書道もできない、そんな子どもでした。その代わりに、成績だけは良いという、それなのに、中学に入ったら、なんということでしょう、周りには成績が良い連中しかいないではないですか。あ、おれ天才じゃないんだね、と気付きます。その上、勉強だけできても何の意味もないとか授業初日で言われます。君たちは将来の世界を背負う人材だ。よって教養を身に付けなければならない、とか言われます。なるほどーと思います。

 っで、「私と彼を比較すれば、私は信念に欠如しており、彼は信念にあふれているということです。」ということになるのですが。「例えば過去に飛べるドアがあるなら私はそれを使うでしょう」ということになります。一万二千枚の特殊装甲がなくても信念があればなんでもできるのだと、なぜ分からなかったのか。端的に言っておれは、傷付くのが怖かったのです。努力しても失敗したらどうしようかと思っていたのです。失敗する前から後悔していたのです。頑張らないから出来ないんです、やれば出来るんです、って思いたかったのです。それが愚かなことだとは、当時のおれは全く分かっていませんでした。

 

 いまもしこのエントリを読んでいる、勉強なんてどうせ出来ないよ、なんていじけかけている中学生や高校生がいたら教えてあげたい。まだ始まったばかりだよ、と。